越後柏崎の大久保に、鋳物の工房があります。

工房の土間は少し暗く、鋳物師が黙々と作業をしています。
暗さにも理由がありまして、それは大事な「赤」の為。
溶けた金属の「赤」と焼けた土型の「赤」。
鋳込の時を知らせる最適の「赤」を見極めることができるように・・・。

手作りの銅の作品は、自然と引き寄せられる魅力があります。
ひとつとして同じ色合いはなく、つい見入ってしまいます。そして、触れたくなる風合い。

炎と銅と人の手から生み出される作品の数々はどれも素晴らしく、甲乙つけがたいのですが、
動物のシリーズが一番のおすすめ。龍、かえる、蝶、亀にかたつむり・・・。
どれもが躍動感に溢れ、生きいきとし、今にも動き出しそうな逸品ばかりなのです。

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蝋型鋳金とは、古代エジプトが起源とされる鋳物の技術です。
シルクロードを経て、渡来人によってその技術が伝えられたのは奈良時代のこと。

蝋型鋳金の作品で有名なものに薬師三尊像がありますが、これも渡来人の手によるものといわれています。
その後仏教文化の発展そ支えた技法は、
日本人により日本の伝統的な蝋型鋳金として発展し受け継がれています。


蝋型鋳金の制作方法

松やにと蜜蝋(みつろう)を混ぜあわせたものを原型作りに使用します。
これは人の手の暖かさで柔らかくなり形が造形しやすくなります。

造形したものの周りを真土(まね)と呼ばれる蝋型鋳金用に調合した土で覆い、
これを乾燥させて炭火でゆっきり焼くことで中の蝋を溶かし、流し出してしまいます。
この時、焼けた真土は土器のように焼き締められて固くなり、
中には造形した原型の型通りの空洞ができ、鋳型となるのです。


すべては自然からの恵み

蝋型鋳金の鋳型は鋳込んだものを取り出すために壊してしまいます。
一つのものを作るために一回限りの原型と鋳型を使うことになりますが、
鋳型に使用した真土は砕いてふるいにかけて長い間大切に使い続けることが出来、
廃棄物がほとんど出ないので環境に負担をかけません。
原型作りに使う蜜蝋や松やにをはじめ、工程の中で使用する土、和紙、炭、松葉、藁、雨水など
すべて身近な自然からの恵みです。日本の自然の中で育まれてきた技術なのです。


鋳込み、磨きが済んだものを良質の国産炭で囲い、ゆっくりと温度を上げていきます。
銅の融点は約800度。真っ赤に焼かれ、変形寸前のところを取り出し急冷。
それを更に磨くことで美しい紫の斑紋をまとい、その色合いは時を経るほどに美しさを増します。


唐金(からかね)とは

銅が主成分で、錫など他の金属との合金をいいます。
鋳造性に富み、耐食性があることから釣り鐘や仏像、擬宝珠など
長く大切に残していくものの制作に古来より用いられてきました。


かつて仏像などに用いられた蝋型鋳金(ろうがたちゅうきん)の技術が最初に新潟県に伝わったのが
現在の新潟県柏崎市大久保の地で、江戸時代の末期とされていますが、
柏崎の鋳物(いもの)の歴史はこれよりも古く、14世紀の歴応年間(1338〜1342)に
河内国(現在の大阪府堺市)から鋳物師が移り住み、鋳金の技術を伝えたことが始まりといわれています。

大久保鋳物は江戸初期から中期にかけて全盛期を迎えます。
その後、梵鐘・塩釜の需要が激減し、迎えた衰退期に美術工芸品として
「蝋型鋳金」(ろうがたちゅうきん)で新しい活路を開いた原琢斎・得斎の兄弟が出ました。

得斎(1831〜1867)の技術は初代 原 惣右エ門に継承され、
鋳物師として20代、蝋型鋳物師として4代目となります。

戦時は工芸技術保持者として認定され、厳しい時代も伝統を守り続け
1978年には新潟県無形文化財に認定されました。


初代晴雲、原 惣右エ門が原得斎より技を受け継ぎ、開業して160有余年。

国産の炭や、わら、松葉など地元の自然の恵みを作品づくりに活用し、
日本の伝統的な技術を守りながらも時代に求められる製品やデザインに取り組んでまいりました。

「技を継承するということは、単に同じ繰り返しではなく、常に探求と創造を要すること」とし、
これからも時代と共に皆様に深く愛される作品づくりを心がけて参りたいと存じます。

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